50歳前後、苦境に立つ「団塊ジュニア」の記事
先日、この記事を目にした。
50歳前後、苦境に立つ「団塊ジュニア」の“現在地”ーー人口ボリュームの多い彼らが立たされた岐路(東洋経済オンライン) – Yahoo!ニュース
「大同窓会」という名称を見て、ふと作者のプロフィールを見たら、大学、そして同じ学部の後輩だった。
私自身、同期の直属の部下として仕えている身であり、忸怩たる思いを抱え、悶々と過ごしている状態であるが、同じ思いをしている同窓は結構いるものだと思った。
昨年、大学の同級生260人が集まる大同窓会に出た筆者は、少なからず衝撃を受けた。卒業から25年以上が経過し、私も含め全員がアラフィフの中年となり、それぞれの“事情”を抱えていたからだ。 50歳ともなれば、大手企業・団体内での出世競争を巡る勝敗は、ほぼほぼ決着している。出世街道を突き進む人もいれば、出世とはまた異なる生き方に自らの意義を見いだす人もいる。 久々に会った友人たちからは、年下上司との関係性を巡る悩みや、育児と介護のダブル生活への疲弊、転職したくても「嫁ブロック」で許されない声などが聞かれた。どれも身につまされる内容ばかりだった。
周りには大企業で要職についている同輩が多く、私のように万年係長に甘んじているのは少数派かもしれない。しかしながら、起業を目指しているものとすれば、実務スキルを維持するのにはもってこいかもしれない。
さらに、下記の記述には思いを同じくした。
管理職レールに乗れず、忸怩たる思いを抱いている人。将来への漠然とした不安が頭をもたげながらも、日々の仕事に追われ、心身ともに疲労・疲弊にあえぐ人。かたや、会社と自宅の往復だけにとどまらず、自ら開拓したサードプレイスや大学院などでの学び直し、趣味を通じ、交流や見聞を広める人。コロナ禍で本格化したリモート勤務時代に即応し、地方に移住したり、2拠点生活を送ったりする人。実にさまざまな人生がそこにはあった。
今まさに私が取り組んでいることそのものではないか。昔は良かったかもしれないが、今では、大都会の人込みや喧騒はストレスでしかない。静寂そして自然の息吹にこそ私の居場所がある。新潟時代にはつながりを重視したコワーキングスペースやヨガ教室というサードプレイスがあった。居場所は都会の喧騒ではなく、大自然の中にこそあった。
何が言いたいのか、と言われるかもしれないが、高学歴のプライドに押しつぶされて他人の出世を気にするのは邪悪でしかない。しかし、今の組織にいる限り、肩身の狭い思いをすることから逃れられないだろう。組織のしがらみは強い。だからこそ、忙しい中にあっても起業への思いを強く持ち続けること。それがモチベーションではないかと思う。まさしく、苦行の中に楽を見つける。ヨガの趣旨そのものではないか。人生はヨガである。ヨガ仲間がそのようなことをおっしゃっていたが、それをしみじみと感じた。