鶏口となるも牛後となるなかれ?
先日3月16日に上京し、母校の卒後25周年の大同窓会に行ってきました。https://www.youtube.com/watch?v=_fHe20e-i7c
約2000人弱が一つの会場に集まる大規模な同窓会となりました。
順風満帆に出世し、著名な企業のトップになったのもいれば、最初の就職先でつまづき、転職を繰り返して苦労されている方も見られました。
中には、判明しただけでも60名あまりがすでに他界されており、黙祷の際は、学歴も地位も無常で儚いものであることを痛感しました。
実をいうと、わたくしもあまり偉そうに言える立場ではありません。
この4月で部署異動することになったのですが、所属長が同期入社、しかも2階級上、というサラリーマンとしての年貢の納め時を迎えることになったのです。
確かに、3年前に妻を亡くしてから、シングルファーザーとして神経発達障害のある子供を育てており(現在は再婚しており、間もなく新妻と同居予定)、転勤を拒否して一度は退社の意思表示をして引き留められた、という事情もあるのですが、元来から、上司の意向を忖度することと空気を読むのは得意ではなく、個人的に自分なりに自己実現を図りたい思いと、上意下達は暗黙の了解だろうが絶対的に従え、という価値観の違いからたびたび衝突を繰り返した経緯があるので、ある意味仕方がないと思います。おまけにメンタルまで病んでしまったということもあるのですが。。
だからこそ、行政書士に合格してから約20年、独立開業を試みたのですが、「食えないから現職に留まれ」「司法書士などの難関資格に受かってからにしろ」と事あるごとに周囲から反対され、今に至っています。
特に今回は、事業計画書まで練り、知己の起業家や専門家に説明の上、ブラッシュアップを図ったうえ、家族に説明して了承を得たにも関わらず、ここにきて家族が慎重派に転じ、会社からも「家族のほうが心配だ」と慰留があったため、しばらくは踏み留まることになりそうです。その代わりにこれまで以上に「年貢を納める」という代償が控えてはいますが。。。
高校時代に漢文で「鶏口となるも牛後となるなかれ」と教えられ、大きな組織のボトムにとどまるくらいなら、小さな組織のトップとなれ、というスローガンのもと、独立を模索しています。しかしながら、
周りからは「国家インフラを管理し、国家のバックボーンのもとで安定している会社だから、下っ端にとどまろうがクビにならず、そこそこの年収があるから幸せだ」、とよく言われています。
理想としては、「鶏口」をめざすも、現実として「牛後」に甘んじている状況。家族は「鶏口」より、「牛後」を望んでいるのか、と疑心暗鬼になることが多々あります。ましてや、学歴が将来を保証するものではない、と頭では分かっていながら、「牛後」に甘んじていることに忸怩たる思いを抱えているところです。
「牛後」であることは、やはり「自由」がないに等しい。同期で出世していようが、現職の特殊性からやはり「牛中」に到達しかかっている程度。
「牛中」にいようが、亡き母の恩師である故渡辺和子先生の名言である「置かれた場所で咲きなさい」の心境なのか。。
https://matome.naver.jp/odai/2139725550095790001
だからこそ、開業に向けての動きを止めるわけにはいかないのです。現部署での交代制かつ定型的な業務から次部署での「大病院のドクター」に酷似した業務に変わり、起業に向けて考える余裕がなくとも、一歩でも前に進めていきたいと思っています。