管理者の実績(2023年10月19日更新)

10年にわたる親族成年後見人

認知症を患う祖母の後見人を10年間続けてきました。

2006年にガンの手術を受けた際、血管に傷をつけたことがきっかけで認知症の症状が出始めましたが、ただでさえ、2003年に祖父が亡くなってから一人暮らしであったこと、親戚に迷惑をかけられないと思い、入院先のケアマネージャーの力を頼りながら縁あって価格・サービス共に満足のいく介護付有料老人ホームに入所できました。

2012年、認知症の症状が悪化し、他害行為を繰り返したことから、老人ホームからの強い要請で自ら成年後見人選任申立を行い、申立人である私が成年後見人として裁判所から審判を受けて選任されました。

成年後見人の選任は過去に用地買収の仕事を行った際に後見人の選任を支援したことから、本業がおろそかになるほど大変だ、という印象が先に立ちました。最初は抵抗したのですが、兄がいる中で、なかなか兄も多忙で動けない状況からして、私が母方の後継者として頑張らなければ、という思いから覚悟を決めました。

司法書士等の専門職や後見監督人を付けないなかでの後見事務ということもあって、遠方の赴任地と岡山・倉敷への平日泊りがけの往復を繰り返したことから、本業や家庭に穴をあけることになり、職場や家庭にはずいぶん迷惑をおかけしたと思います。実際に、同期と比べて出世が大きく遅れるなど、相対的な不利益はありました。

その反面、手探りながら後見事務のノウハウを身に着け、裁判所がどの観点で後見人をチェックするのかを身に着けることができました。被後見人(祖母)の財産によるものが大きいので報酬があまり期待できない副業ではありましたが、大きなスキルアップにつながったのかな、と確信しています。

被後見人たる祖母の死後処理もすべて私で行ってきました。死後事務を一通り経験し、大きな自信につながりました。

知的障害を持つ息子の父として

私の息子には知的障害がありますが、2023年10月現在は新潟県内の地域の中学校の特別支援学級で頑張っています。

息子は2016年に旅立った先妻との間に生まれた子で、息子が6歳のころに先妻の闘病をきっかけに施設に入所しました。

先妻の思いは息子を「社会に通用させること」に強くこだわっていました。そのために、特別支援学校を勧められても教科学習が疎かになることを懸念し、教育委員会と侃侃諤諤のネゴシエーションを行い、一般の社会から切り離されないように頑張ってきました。

同時に施設に入所したことから生じたと思われる愛着障害とトラウマの除去を中心に、週末は親子で過ごす時間を確保してきました。

学校や施設の方針には常に疑問を持ちつつ、花風社の本をたよりに週末を中心に自ら実践し、学校や施設に要求を続けてきました。

障害が治る、という言葉を信じて奮闘していますが、なかなか治らない中で、将来的に私自身が成年後見人になる公算が高まっていることも事実です。

身内の親族後見人としてだけではなく、遠距離介護に悩まれている方を何らかの形で経験というスキルを踏まえながらお手伝いできればと考えているこの頃です。

本業での許認可業務

本業では道路交通関係を中心とした許認可に携わっていました。

許認可を受ける側として審査が中心でしたが、中には上部機関に上申するための取次業務を行う案件を多く抱えており、書類をそろえ、添付書類の指導を行うなど、行政書士業務に近い業務をずいぶん行ってきました。

特に本省にまで上申するレベルの大型案件となると、難易度も高くなり、ストレスも大きくなってきます。

実務者としては8年、管理者として10年余り行ってきました。

最近は部下に任せている状況で腕も相当落ちてきましたが、開業時には初心に帰って頑張りたいと思っています。